中田裕士と吉田知史の作品"SinkTop"は2004年度のPrix Ars Electronica [the next idea] 部門においてHonorary Mentionを受賞した。そしてGala(オープニングセレモニー、表彰式)にてライブパフォーマンスを行うために2004年9月、Ars Electronica Festivalに招待された

世界中から集まったメディア関係者の注目が集まる中、栄誉あるGalaの舞台で作品を発表できたこの貴重な体験と、発表者から見たフェスティバルの動向について、ここに報告する。

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リンツ中央駅に到着。


ドナウ河を渡るSinkTop PP。ケースを抱えているのは今回の発表を全面的に手伝ってくれた、研究室の後輩である岡内君。

2004年8月31日、我々はついにオーストリアのリンツに到着した。

この時期のリンツにはめずらしいらしいが、すばらしい天候に恵まれ、日中は半袖でもちょうどいいような陽気であった。

我々は路面電車でArs Electronica Future lab.に向かった。ハウプトプラッツを過ぎたドナウ河のほとりにArs Electronica Centerがあり、そのすぐそばにFuture lab.がある。

だが、我々ははじめFuture lab.の位置を知らなかったので、とりあえずArs Electronica Centerに行った。「Future lab.の研究員であるMartin Honzik氏と約束がある。我々は日本から招待されたアーティストである。SinkTopの作者がきたと伝えてくれれば分かるはずだ」と受付で話し、担当者のMartinを呼んでもらった。

ほどなく、坊主狩りの男性がやってきた。この1ヶ月、メールでやり取りしていたMartinとの対面だ。彼が今回のGalaの責任者であるらしい。

また、Galaにおける映像出力などの責任者で、やはりFuture lab.研究員であるReinhold Bidner氏を紹介してもらった。彼とも少しだけメールのやり取りをしたことがあった。ニックネームはReini。

顔合わせを済ませた我々はさっそく、会場となるBrucknerhausの中を見せてもらうことにした。Brucknerhausはドナウ河をはさんでFuture lab.の対岸にある。


Brucknerhausの大きさを直に感じ、緊張で顔がこわばる中田。


本番に向け、プロの職人たちが忙しく設営の準備を進めている。


ステージ上に並べられた25台のミキサー。なんとKenwood製。

Brucknerhausの大きさは圧巻だった。想像以上に広く、立派なホールだった。
Martinいわく、「リラックスしてやってくれよな!本番ではお客さんはたったの900人しか来ないし、テレビカメラだって数台しかないから!HAHAHA!」
まったく愉快な人である。

ホールの中では何十人ものプロの職人たちが、会場設営の作業を進めていた。

ステージ上には本当に25台ものミキサーが並んでいた。製品の規格も我々が意図していたものと相違ない。メールで確認はしていたが、現物を見るまでは安心できなかったので、ほっとした。
日本からの我々の指示によって、Future lab.がわざわざ25台ものミキサーを準備してくれたことを思うと、胸が熱くなった。

会場の下見を終えた我々は、Martinたちとのミーティングを翌日に行うことにし、ホテルに向かうことにした。Martinがホテルまでのタクシーを呼んでくれた。もちろんタクシー代はArs Electronicaの負担。VIP気分を味わい、いい気分だ。

英語がまったく通じないタクシー。ホテルの名前を告げると高速道路を使って山のほうに走った。

       
 


部屋の窓からの景色。山。


関係者であることを示す名札。

 

Ars Electronicaがあらかじめ手配してくれていたホテルは、街の中心から高速道路で2つ分も離れた山のふもと。聞くところによると、普段は大学の寮として使われているものが夏休み期間中にホテルとして開放されるのだという。

チェックインするとArs Electronicaの関係者向け資料やネームカード、ピンバッジなどを渡された。 名札には Yuji Nakada Art & Science と書いてあった。またもやVIP気分である。

このホテルはArs Electronica事務局によって貸し切られていて、我々のほかにも世界中から招かれたアーティストや関係者が多く宿泊していた。

       
 


担当者とのミーティング。


深夜。本番でGold Nica受賞者が座る席に座り、そのまま眠ってしまう中田。(まったく記憶にない)

 

翌日、担当者との実際のミーティングにおいて、さまざまな理解の食い違いが明らかとなり、計画の変更を余儀なくされた。

もっとも大きな変更は、テレビ視聴者を巻き込んでのネットワークパフォーマンスができないことであった。
「テレビで放送されるライブパフォーマンス」というのを、生中継されると勘違いしていたのが原因だ。テレビ放送は生ではないらしい。
互いに英語が母国語ではないこともあり、このような齟齬が生じてしまった。
痛恨のミスだが、いまさらしょうがない。代替案を考えなくては。

突然の変更作業のため、Brucknerhausに泊り込み、機材のセッティング、修正作業は夜を徹して行われた。コンピュータにはつきものであるが、様々な技術的トラブルにも一通り遭遇。

つたない英語で、生意気にもプロの設営スタッフたちに技術的な説明をし、配線やステージの演出についての指示を与えながらの作業を続けた。「もしも間に合わなかったら、、、」ものすごいプレッシャーだった。

       
 
Gerfried Stocker
Media artist, Artistic and managing director of the Ars Electronica Center, and Artistic co-director of Ars Electronica Festival
 

徹夜で作業し、なんとか準備を終わらせた。あとは、パフォーマンスの本番ですべてのシステム、映像、音声がうまく連携することを祈るのみである。

最終リハーサルを終え、舞台裏で待機していると長身金髪で眼鏡をかけた男性がいた。Gerfried Stockerである。"toi toi toi!" これはたしか旅行ガイドブックに載っていた、「がんばれよ」というおまじないだ!
「スーパーダンケ!」現地で覚えた適当なドイツ語で返した。

       
 


Christine Schopf
Head of the department art and science at the ORF Upper Austrian Regional Studio, and Artistic co-director of Ars Electronica.


舞台ソデより。

 

ものすごくクールな映像と重厚なオーケストラの音楽でGalaは始まった。

司会はGerfried StockerとChristine Schopf。Ars Electronicaの25年の歴史を紹介するものだろう。映像も司会もドイツ語なので何を言っているのか分からないが、会場からは、たまに笑いが起きている。

「日本の早稲田大学からやってきたSinkTopです!」と紹介されたら出て行け、と言われていたのだが、ドイツ語の司会とは思わなかった。とにかく注意深くWasedaとかSinkTopとかの単語が言われるのを待っていた。

       
   

本番。2階席のオペレーションルームからステージ上のSinkTopへと信号が送られ、巨大スクリーンに映し出されたCGと25台のミキサーが連動して動く。それを数台のTVカメラが撮影する。

いざステージの上に立つと、私も吉田もほとんどすることがない。1000人の観客の前に出て、機械がちゃんと動くのを祈るのみだ。何度もリハーサルを行ったからか、自棄になっていたのか、はたまた、あまりにも眠かったからか、不思議と緊張はしなかった。普段ならば、ちょっとしたプレゼンでもガチガチになるノミの心臓なのに。
「ああ、今テレビカメラが斜め前にいるなあ」とか「さすがアルスの表彰式に招かれる客だけあって、ノリがいいなあ」などと思っているうちに、我々のパフォーマンスは終了した。

       
 

 

 

出番を終えて、2階のオペレーションルームへ行くとMartinがいた。彼にはリンツに来てから何度も励まされ、言葉では言い尽くせないほどお世話になっていた。私は抱きつき、握手をし、感謝の言葉を言った。
「君らはスーパーだったよ!来年は君らがGolden Nicaを獲ってくれ!」と最後までMartinは、こっちが申し訳なくなるほどいい人だった。

       

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(文責:中田裕士)